街宣車を作成しています。
看板作成も、設置もろもろも地元の先輩方のお力をお借りしました。本当に感謝の気持ちで一杯です。
最近選挙において街宣車を使用することに対して「NO」と言う議員や立候補予定者がいますが、私はその考え方には全く賛同できません。
僕はあえて「YES選挙カー」と言いたいのです。
原発NO!・消費税NO!・・・ちまたで良く聞き、見かける「NO!」という文言。 理想を目指していて素晴らしいなと思われる方も沢山いるかと思いますし、そのこと自体は否定は致しません。
理想は理想として目指していかなければなりませんし、原発も消費税もなければないほうがいいに決まっています。
しかし現実社会はそうはいきません。
NO!と声高に叫んでパフォーマンスに使用するのは簡単ですが、「NO!」を言うことで本質的な問題は解決するのでしょうか?
有史以来単純にNOというだけの活動でその目指すべき理想が達成できた事例はきわめて少ないのではないでしょうか? そこにある”課題”は、現実としっかり向き合い、一歩一歩克服することによってのみ解決されるものです。
例えば・・・人間は「火」という大きなエネルギーを使用することでここまで発展してきました。その過程で「火」によって多くの命が奪われたことでしょう。環境に関する問題も発生したでしょう。
人類は「火」というエネルギーによって多くの同胞の命を奪われながらも、両足でしっかり大地を踏みしめ、歯を食いしばって、一歩一歩現実と向き合い血と汗を流し新たな技術革新を行い、目の前にある課題を解決し、発展してきたのです。
「NO!」からは何も生まれません。 「NO!」では前進できないのです。
有権者の政治に対する関心が低下する中、多くの方に街宣車で政策を訴えることの重要性はさらに高まっています。 最近の車は低燃費化が進んでいますので騒音、排ガス、ガソリン代などは随分抑えられます。
候補者の情報がネットでとれるようになったことも「NO!」の理由にはなりません。 私は公職選挙法に認められている活動であれば可能な限り使って、有権者に自らの政策を知って「判断してもらう」べきだと考えています。
ネットでも街宣車でも、街頭でも、ポスターでも、様々なメディア・ツールで多くの有権者に候補の情報を知ってもらうことこそ選んでいただく側への誠意であり、民主主義を守ることだと確信しています。
今一度伝えたい〜「NO!」からは何も生まれない。
YES選挙カー!
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